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教科書と日本史受験

日本史教科書の改定箇所一覧を眺めると、今年の入試問題、特に東大教授のクセが見え隠れする。これらの整理は東大日本史対策に重要な示唆を与えている。最も多くの東大教授・准教授が執筆を手掛けている山川出版「詳説日本史」を検討し問題点を考察したい。

原始:
1:縄文文化が成立する。この文化は約1万3000年前から…紀元前4世紀ころまでの期間にわたった。

※12000年から1000年延長された。これは遅すぎるが妥当であろう。

2:当時中国では日本人を「倭人」,その国を「倭国」とよんでいたが,7世紀末から8世紀初めにわが国がみずから「日本」と称し唐の歴史書でもはじめて「日本」という国号を採用した。

※「日本」国号の使用時期を明確にし、唐がこれを採用したことを記載。しかし、基本は朝貢しつつ冊封を受けないという外交に変わりはないが、より中国との上下関係を示す記述になる。

古代王権:
1:6世紀の朝鮮半島では高句麗の圧迫を受けた百済や新羅が勢力を南下させ伽耶の諸小国をあわせたため,伽耶諸国は562年までにつぎつぎに百済・新羅の支配下にはいった。そして伽耶諸国と結びつきのあったヤマト政権の半島での勢力は後退した。

※任那日本府・金官加羅などの日本書紀による表現は完全に削除し、朝鮮半島統一のパワーバランスの中で説明されている。


2:蘇我馬子は,はじめて本格的伽藍を持つ飛鳥寺(法興寺)を596年に完成した。百済からの技術者が参加して従来の掘立柱とは違い,礎石の上に柱を立てて屋根に瓦を葺く建築技法が用いられた。飛鳥寺の発掘調査では,塔の心礎から古墳の副葬品と同種の品が出土し,在来の信仰と習合する形で仏教が導入されたことが知られた。

※日本の信仰の多様性の淵源をみる表現に変わっている。仏教受容の根底にある問題は、豪族間の政治権力抗争と朝鮮半島からの外交的影響が少なくなかったと思われるため妥当な記載になっている。

3:難波から飛鳥へもどった斉明天皇(皇極天皇の重祚)のもとで倭は旧百済勢力による百済復興を支援するため…663年白村江の戦

※日本に660年以降に亡命した百済渡来人勢力による外交主導を示唆している。百済大寺の建立などとも関連する重要な問題点である。

4:律令・国司の編纂や銭貨(富本銭)の鋳造,中国の都城にならった藤原京の造営をはじめたが,その完成の前に(天武天皇が)亡くなった。

※天武・持統期の政策の連動性を明確に打ち出している。藤原京の建立は持統天皇からではなく、天武天皇からの継続した方針であると記載する。

5:国司関連の記述変更→今年は本命!

国司には中央の貴族が派遣され役所である国府(のちに国衙ともよばれる)を拠点に国内を統治した。

任国に赴任する国司の最上席者(ふつうは「守」)は…強欲な者が多かったので,郡司や有力農民(と対立した…988年の事例…)…一種の利権とみなされるようになった受領をはじめとする国司は成功や重任で任じられることが多くなった。受領以外の国司は,実務から排除されるようになり,赴任せずに,国司としての収入のみを受け取ること(遙任)もさかんになった。
  
受領は,有力農民(田堵)に…請け負わせ,租・調・庸・公出挙利稲の系譜を引く税である官物と,雑徭に由来し本来力役である臨時雑役を課すようになった。

(こうした請作が行われる土地には)請負人の名がつけられた。
こうして土地を基礎に受領が負名から徴税する体制ができていった。

その一方で,10世紀後半には国衙から臨時雑役などを免除されて一定の領域を開発する者が増え,11世紀に彼らは開発領主とよばれてみずからの開発地に対する支配権を強めていった。

※課税対象が土地に切り替わったことを詳しく説明している。


6:館侍とは受領の家子・郎党からなる受領直属の武士たちで,国侍とは地方の武士を国衙の軍事力として組織したものである。

※武士身分の分類を進めている。


7:大寺社に属したものは神人,天皇家に属したものは供御人とよばれた。
※非農業民にもスポットを当てている。


中世:
1:しかし鎌倉幕府以来の法秩序を重んじる直義を支持する勢力と尊氏の執事高師直を中心とする,武力による所領拡大を願う新興勢力との対立が…(観応の擾乱)
※新興勢力(高師直ら)と伝統的権力(足利直義ら)の対立という図式が明白になっている。


近世:
1:野犬が横行する殺伐とした状態は消えた。また,神道の影響から服忌令を出し,死や血を忌みきらう風潮をつくり出した。こうして戦国時代以来の武力によって相手を殺傷することで上昇をはかる価値観はかぶき者ともども完全に否定された。

※戦国遺風の排除などが生類憐みの令の根拠となると指摘。

2:銭貨は近世当初,中国銭である永楽銭がまだ大量に流通しており,永楽銭1貫文=金1両の交換比率に定めて混乱を防ぐにとどまった。しかし寛永期に江戸と近江坂本に銭座をつくり,寛永通宝を大量に鋳造し,銭貨を広く普及させた。そして17世紀中ごろまでに金・銀・銭の三貨は全国に普及し,商品流通の飛躍的な発展を支えた。

3:換算率はのち金1両=銭4貫文が銀60匁

4:「米公方」とよばれた吉宗は,米価の上昇によって武家の財政を安定させようとした。このため大坂の堂島米市場を公認した。さらに吉宗は,甘藷・さとうきび・櫨・朝鮮人参の栽培など,新しい産業を奨励し,また漢訳洋書の輸入制限をゆるめるなど実学を重視した。青木昆陽を登用して救慌用の甘藷の普及を実現させ,青木・野呂元丈に蘭語を習わせ,蘭学興隆の基礎をきずいた。

※経済史重視の表現になり、江戸時代理解が促進されることだろう。


5:1853(嘉永6)年4月に琉球国の那覇に寄港したアメリカ東インド艦隊司令長官ペリーはそこを根拠地として,軍艦(「黒船」)4隻をひきいて6月に浦賀沖にあらわれ…

※アメリカと琉球の関係性を早くから指摘する表現になっている。アメリカの太平洋航路進出の意図や中国貿易・寄港地獲得の方針についても理解しやすい。

近現代:

1:1887(明治20)年に,板垣退助にかわって同じく高知の後藤象二郎が大同団結をとなえ,井上馨外相の条約改正交渉の失敗を機に三大事件建白運動がおこった。同年末に政府が保安条例を公布して多くの在京の民権派を東京から追放した後も,運動は東北地方を中心に継続し,1889(明治22)年の憲法発布によって政党再建にむかっていった。

※保安条例で弾圧後の東北地方での星亨の動きなどを指摘する。以前は大阪を中心に叙述されていた。豪農民権の動向を理解するには利便である。

2:折から1886(明治19)年には,横浜から神戸にむかうイギリスの貨物船が暴風雨にあって沈没した際に,日本人の航夫を見殺しにし,イギリス領事による海事審判で船長の過失が問われないという事件(ノルマントン号事件)がおこり,不平等条約に対する世論の反感を強めた。

※日本人の乗客だけでなく、「日本人の航夫を見殺し」という内容を追加・指摘している。

3:川上音二郎らが時事的な劇に民権思想を盛り込んだ壮士芝居は,日清戦争前後から人気がある通俗小説の劇化を加えて,新派劇とよばれた。

※オッペケぺー節など民権運動などの民衆運動から大衆演劇への展開を指摘する。

4:元老の西園寺公望の助言もあり,田中首相は当初,真相の公表と厳重処分を決意し,その旨を天皇に上奏した。しかし閣僚や陸軍から反対されたため…,

※1928年の満州某重大事件と田中内閣退陣に関わる説明が詳細になる。昭和天皇独白録や侍従武官などの日記などから復元された事実を反映した表現である。宮中勢力と内閣との政治相克と昭和天皇の「若さ」を示す近代政治における正しく「重大事件」である。

5:国際連合は,…安全保障理事会を設け,平和の破壊に対して,軍事行動の実施をふくむ強制措置発動を決定できる強大な権限を付与した。

※国際連盟とは相違点で指摘される国際連合の戦争抑止力の行使を記載する。現在の国連平和維持活動を理解する淵源になる。

6:ポツダム宣言は戦争犯罪人の「厳重なる処罰」を明記していたが、GHQは、侵略戦争を計画・実行して,「平和に対する罪」を犯したとして,戦前・戦中の多くの指導者を敗戦直後から逮捕した(A級戦犯)。

GHQの一部局として設置された国際検察局を中心に被告の選定が進められた結果,1946(昭和21)年4月まずは28人の容疑者が極東国際軍事裁判所に起訴された。

※極東国際軍事裁判に対する説明が詳細となり、日本の占領政治に対するGHQ、アメリカ中心の占領方針や関与がより明らかにされた。

7:国民生活の危機は,大衆運動を高揚させた。敗戦直後には,労働者たちが自主的に生産・業務を組織する生産管理闘争が活発になった。さらに全官公庁共同闘争委員会に結集した官公庁労働者を中心に,吉田内閣打倒…を期して基幹産業をまき込むゼネラル・ストライキへの突入が決定されたが,スト突入前日にGHQの指令で中止された。

8:(自衛隊の)海外派遣を開始した。2001年のアフガン戦争,2003年のイラク戦争に際しては,一連の特別措置法にもとづき自衛隊を派遣した。

9:(自衛隊の)海外派遣が可能になった。1993年にはモザンピーク,94年にはザイール(現,コンゴ民主共和国),96年にはゴラン高原,2002年には東ティモールに派遣されている。

※国際貢献の事例を列挙し、自衛隊の平和維持活動を理解させている。

日本史の教科書は歴史学の最先端を迅速に取りこまねばならないが、文部科学省の検定や研究の浅深によって記述に詳粗が生まれその記述が偏頗になりやすい。また特に「現代史」は、現在との時間的連動の深淵もあり、膨大な史料から恣意的に選択された叙述になりやすく、中間発表のような様相を呈し、古代史よりも外交・哲学・思想の影響を受けやすいものになっていることを懸念する。

「歴史は生物」である。歴史という名の劇場に登場する人間、彼らの社会を研究理解するのに暗記に拘泥することはむしろ不必要である。

しかし教科書用語における現代史の教科書記述が詳細になればなるほど、受験生の知識を要求する入試問題の跋扈を招くことは否めない。

そこで「歴史」の本質と逆行する、無味乾燥で無意味なゴロ暗記や年表式用語羅列といった「受験技術」も跳梁する。

そんなレベルの低い「作業」に日本史を大学受験が貶めているからこそ歴史学が軽佻浮薄の謗りを受け、実学から遠ざかってしまいつつあるのである。

無論、現代史の重要性は認識しているが、高校生の日本史理解をより深め、本来の歴史的思考を活性化させるために、大胆に時代を分割した教科とするべきである。今後は100年以前と以後という期間指標を設け、前近代史・現代史の分割独立叙述と科目・単位数の編成を一考する必要があるに違いない。

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プロフィール

【DR.TEPO】
神奈川県在住の予備校講師。専門は日本中世史・宗教史。予備校で日本史を教えつつ,大学入試問題を解き,史学との接点を考えて本質的な受験指導と,歴史認識を平易に伝えたいと教授法を日々考察している。
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