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山内容堂 鯨海酔侯

「鯨海酔侯」とは幕末の土佐藩主山内豊信(容堂)の自嘲的な名乗だ。

藩主の座を譲り、隠居の身となった当初は「忍堂」と号したが、水戸藩の藤田東湖が「忍は使用人の義理、君主は容でござる」と薦めたため、「容堂」と改めた。人間の器は「人の意見をいかに入れられるか」で決まる訳である。筋・筋と筋骨ばった議論を押し通し繰り返す無能さを曝け出すよりは遥かに人間性の広範を感じてしまうことだ。

しかし土佐勤皇等への厳しい弾圧により勤皇志士を弾圧するという偏りを見せ、一方、朝廷にも奉仕、幕府にも秋波を送るという複雑な行動を取ったため幕末の政局に混乱をもたらし、西郷隆盛から「単純な佐幕派のほうがはるかに始末がいい」とまで言わしめる結果となった。幕末の時流に上手く乗ろうとした態度は、当時の志士達から、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。

明治維新後は内国事務総裁に就任したが、1869年に辞職。東京箱崎の元田安徳川家別邸を買収して居住した。隠居生活は当時、別荘地として知られた橋場別邸(綾瀬草堂)で、側妾を十数人も囲い、酒と女と作詩に明け暮れる豪奢な晩年を送った。また、連日で両国・柳橋などの酒楼にて豪遊、ついに家産が傾きかけたものの、容堂は「昔から大名が倒産した例しがない。俺が先鞭をつけてやろう」と豪語したという。また、武市瑞山を殺したために土佐藩内に薩長に対抗できる人物を欠いて新政府の実権を奪われたと考えてこれを悔やんだともいう。明治5年、積年の飲酒が元で脳溢血に倒れ、46歳で生涯を閉じた。

「酔って候」
作詞 作曲 柳ジョージ

土佐の鯨は 大虎で腕と度胸の男伊達
いつでも 酔って候
酒と女が 大好きで粋な詩も雪見詩
いつでも 酔って候

鯨海酔候 無頼酒 鯨海酔候 噂の容堂
二升入りの 瓢箪で
公家を脅かす無頼酒 粋な 酔って候

歯が疼き 目も眩み耳鳴りしょうとも
いつでも 酔って候

鯨海酔候 無頼酒 鯨海酔候 噂の容堂

新橋 両国 柳橋
夜の明けるまで飲み続け
粋な 酔って候

Everydy!! Everynight!!
Everydy!! Everynight!!

☆懐かしいこの曲が複雑な容堂の思想信条を掘り起こし、再考すべき機会を与えてくれる。「陣ノレを見せる」といって卓袱台や酒盃をしっちゃかめっちゃかにする「酔狼君」。魚料理が出ると、目玉の周りを即時取り分け「さすが土州」と賞されたともいうが、幕府や新政府に物怖じせずに痛快な生き方をした彼に羨望畏敬の念を持つ。

http://jp.youtube.com/watch?v=tMR0C3op1Ec

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【DR.TEPO】
神奈川県在住の予備校講師。専門は日本中世史・宗教史。予備校で日本史を教えつつ,大学入試問題を解き,史学との接点を考えて本質的な受験指導と,歴史認識を平易に伝えたいと教授法を日々考察している。
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